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(韓国 ハンギョレ紙  2007・10・26付 解説記事)

http://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/245336.html)原文

 

 


キム・デジュン拉致事件 調査内容と意味

 

 

 

1973年8月 日本の東京で発生した“キム・デジュン拉致事件”は、「維新時代」(訳注 パク・チョンヒ軍事独裁政権時代)に、政府機関が介入した代表的な政治工作事件として真相が隠蔽されたまま、疑惑に覆われて社会的論難を惹起してきた。

 

こんな状況で“国情院(国家情報院)過去事件真実究明を通した発展委員会(真実委)”が、24日公開した調査結果は、この事件に対する公式的な真相の調査結果と言う点で、意味を探すことが出来る。

 

「真実委」は、特にこの事件が政府当局、即ち、中央情報部(韓国中央情報部・KCIA)が直接介入した事件だと確認した事で、韓・日間の外交的論難の余地を残した。その間、この事件に「中情」(KCIA)が介入したと言う指摘と解析は、多かったが、正式に確認されたのは初めてだ。

真実委は、この事件に対する疑惑事項を、▲中央情報部による拉致の可否 ▲最高位の指示者 ▲工作目標 ▲政府の組織的真相隠蔽の可否など、四つの分野に分けて調査を進行した。

 

この中で、特に関心を引く題目は、当時のパク・チョンヒ(朴正熙)大統領の介入の可否だった。朴大統領は1971年の大選(大統領選挙)で、キム・デジュン(金大中)候補を90余万票の僅少差で抑えて三選に成功したが、以後二人は政敵関係を形成する契機となって、パク大統領はキム・デジュン氏の政治活動を集中的に牽制し始めた。

 

真実委は、報告書で“大選(大統領選挙)を通して、キム・デジュンの政治的位相(地位)が急上昇するとすぐ、パク大統領は、長期執権にとって最大の障害物と感じて、集中的な牽制をしたものと見えるし、これは、その時から中情(KCIA)がキム・デジュンに対して、本格的に集中動向内偵を進行した事実とも、無関係ではないと判断される”と、明らかにした。

こんな状況で拉致事件が発生すると直ぐ、当然に、事件背後に関心が集まってその間、`イ・フラク(李厚洛)中央情報部(KCIA)部長指示説´は、当時イ・フラク部長が、去る73年3月`ユン・ピルヨン事件´にかかわった以後、パク大統領の不信を受けていた間、キム・デジュンの反維新の活動と関連した中情(KCIA)の、対処法案に対して強い叱責を受けてすぐ、パク大統領に対する信頼回復の最後手段として拉致事件を指示した、と言うものだ。

 

ユン・ピルヨン事件と言うのは、ユン・ピルヨン 当時スギョン司令官(現 スパン司令官)が酒席で、“パク大統領を退くようにして、後継者にイ・フラク(李厚洛)を考えた(挙論した)”と言う理由で処罰された事件だ。

 

“大統領指示説”は、国家的に重大な工作事項がイ・フラク部長の独断的決定によって遂げられたと言うのは、常識的に理解するのは難しく、維新体制を猛烈に非難した政敵を除去する為、パク大統領がイ・フラク部長に事前指示し実行されたと言う主張に根拠している。

 

真実委は、こんな主張の真偽を明らかにする為に、国情院の保存資料 一万二千八百三十三頁と、キム・デジュン図書館など他の機関の保有資料二千六百五十一頁、そして拉致事件に関与した、転職・中情(KCIA)要員11名とヨングム(竜金)号(訳注・キム・デジュン氏を大阪からプサンへ運んだ工作船)の船員4名を含む、全部で18名に対する面談調査を実施した。

 

しかし、客観的証拠を通してイ・フラク部長が、中情(KCIA)の工作部署に拉致工作を推進するまで、指示したというのは、明確に確認されたか、パク大統領が事前に拉致指示をしたのかの可否と関連するのは、事件の核心資料である、“KT工作計画書”が残っていなくて、容易く判断を下すことが出来なかった。

 

結局、真実委は、いろんな情況と関連者の証言などを綜合分析して見るとき、“パク大統領の直接指示の可能性とともに、最小の黙示的承認があったとみなければならないようだ”という判断を下した。証拠によった判断ではなく情況などを根拠として推論した判断だという計算だ。

 

あわせて、関連者らの証言も提示した。チェ・ヨンクン前議員が1980年初めイ・フラク部長から“パク大統領の指示をうけて、仕方なくすることにした。”という意味の話を直接聞いたと言う事と、イ・チョルヒ(李哲熙)情報次長補が、イ・フラク部長に指示を受ける当時、反対意思を披瀝するとすぐ “わたしは、したくてすると思うか?”と言ったという伝聞証言が、すなわちそれだ。

 

また、拉致工作が進行中だった1973年7月27日、キム・デジュンの反維新の活動事項を綜合した内容がパク大統領に直接報告されたとき、工作進行と関連した状況も包含された蓋然性が高く、事件発生後関連者らを処罰することなく、むしろ保護したし、当時、キム・ジョンピル総理を派遣し、日本との摩擦を収拾するまでした点なども、根拠として数えられた。しかし、真実委は、パク大統領の指示の可否を確認できる直接的な証拠資料は、発見できなかった。

 

核心の関連者たちの“KT工作計画書”作成の証言を聴取して、これを立証することが出来る全文の内容も、確保するとか 重要文書は、探すことが出来なかったのだ。事件発生後、文書が破棄されたと推定されると真実委は説明した。

 

真実委はまた、この事件が当時イ・フラク中央情報部・部長の指示によって実行されたという事実と、事件の発生以後、中央情報部が組織的に真相を隠蔽しようとしたと言う実状も、明白に確認したと明らかにされたことで、韓日関係にまた違った波長を呼び起こしている。

 

特に、韓日両国の拉致事件の処理過程を検討してみれば、両国政府すべて事件の真相隠蔽に関与した誤りがあると、真実委は指摘した。

 

日本政府は、この日、この様な報告書内容と関連“韓国当局による日本国内での公権力の行使に日本として極めて遺憾”だとして韓国政府の謝罪と再発防止を要求した。

 

町村信孝官房長官は、記者会見で真相究明が出来なかった責任が日本政府にあるという報告書の指摘には“責任が日本側にあるという主張を万一韓国政府が言えば、受け入れることは出来ない。と強調した。

 

チョン・ホソン 青瓦台スポースクスマンは、この日、定例ブリーフィングで日本政府が韓国政府の謝罪と再発防止を要求したが、それによる青瓦台の立場を問う質問に、“過去にこんなことがあったと言う事は、不幸なことであって遺憾なこと”であるが、“(調査)結果は各機関らが分かってしていることだから発表内容ひとつひとつに対して青瓦台が論評することは望ましくない。”といった。

 

真実委は、委員会の意見を通して“調査結果の公開を通して、`転職 中央情報部職員たちは、キム・デジュン大統領に、拉致過程のなか経験した苦難に対して真心から謝罪の気持ちを伝えた。´と言う点を公式的に伝達するが、これで、本当の許しと一緒に、和解の場が準備され、過去の傷が治癒される契機となることを期待する”と、明らかにした。(訳 柴野貞夫)